寺スが綴るコラム

日本人の風景

「旅愁」 日本人の風景#3

長野県の伊那谷をオートバイで走っていた時の話です。この辺りは父が生まれた町に近く幼年時代に一度だけ連れてこられてるはずなのですが、当時の記憶は全く残ってません。つまり記憶が形成されてからこの辺りを訪れるのは初めてのことです。


肌身をさらすオートバイですので、景色の中に吸い込まれていく肉感はもとより、乾いた干し藁や花々の香りが風にのって体の中の血液に同化してきます。

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そしてある瞬間、なんとも不思議な感覚におそわれました。懐かしい、切ない、鼻頭がツーンとくる、温かい、もの哀しい・・・・、強いて言語化するならば、濃厚なる「幸福な気持ち」が私の中から生じてきたのです。気持ちを形式化すると軽薄になってしまうのが悔しいのですが、景色に「抱かれる」ような初めて味わう感覚でした。そんな景色の中をしばらく走り抜けたあとで知ったのですが、その場所こそ父が生まれ育った実家のすぐ近くでした。


山形県に高畠という新幹線の停まる小さな町があります。初めてこの駅に降り立った時も言葉にできない懐かしさを覚えました

高畠駅には瀟洒なホテルが併設されており、周囲には畑や田んぼが広がっています。ホテルで自転車を借りて田んぼの中の遊歩道を散策していると、景色も風も私の五感にしっくり馴染むのです。五感に馴染むという言葉自体正しい日本語ではないように思いますが、とにかく何とも不思議な幸せな気持ちです。

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しばらく走ったところで"浜田広介記念館"という建物に行き当たり、言うに言われぬ感動を覚えました。「なるほど!」と一人合点。思わず小躍りしました。浜田広介は童話作家です。「泣いた赤鬼」「椋鳥の夢」といえばご存知の方もいることでしょう。
私は小学校低学年の頃、父から「はまだひろすけ童話集」を買ってもらいこればかりを繰り返し読みました。浜田広介は善意思を貫いた童話作家です。花や動物たちが会話する世界は愛で彩られています。大人になってから確信したのですが、私の情緒はこの童話の中の世界によって培われました。おそらく私がこの町に懐かしさを覚えたのは、浜田広介が見ていたであろう景色、嗅いでいたであろう風の匂いに包まれたからに違いありません。浜田広介によって宿った情緒が私の幸福感を呼び起こしたのでしょう。



長野の伊那谷も秋田の高畠もその後繰り返し訪れています。そのたびに思うのですが、「旅愁」という感覚は、幼いある一定時期の澄んだ感覚、あるいは遺伝子を通して呼び覚まされるものなのかもしれません。ところで、この二つの景色の中で不思議な感覚に包まれたときには、いずれの場合も脇元幸一という今は亡き親友が一緒でした。このこともまた不思議でならないのです。



さとやま遊人郷プロジェクト代表 米山兼二郎