寺スが綴るコラム

日本人の風景

「スマホ脳の見る景色」 日本人の風景#2

パソコンを立ち上げると、最初のデスクトップに日替わりで世界中の素晴らしい景色が映し出されます。時々「ワオ!」と声を上げそうになる景色もあります。しかしこれは二次元画像という対象に私が向き合って対峙しているに過ぎません。景色を「眺める」といった感覚とは全く異なります。


年とともに景色の中に立って、さらに向こう側の景色を「眺める」という機会が減ってしまいました。ここでいう景色を眺めている瞬間とは、当然三次元の世界ですので、私の立ち位置と向こう側の景色に繋がりがあります。奥行きと言ったらいいのでしょうか、場の膨張感があります。つまり景色の中に同化しています。この時の心境は、最近流行のヨガとかマインドフルネスなどが目指している境地と同質のものだろうと思います。自己と景色との同化は、存在している世界との同化、宇宙との同化へと拡大覚醒されていき、ついには超自然的なものを意味する「スピリチュアル」といった実態のない概念へと行き着くことになります。


先日アンデシュ・ハンセンが書いた「スマホ脳」を読みました。これは私の乱暴な総括ですが、最近の子供、若者達はスマホに脳をハッキングされており、本来人類が自然の中で生きる時に必要とされてきた天敵や自然の驚異に対する恐れや不安感といった感情が、スマホという名の一物質にコントロールされてしまったと、そんなようなことが科学的、統計学的知見を基にして書かれていました。
興味のある方は是非読んでもらえばわかるのですが、スマホで瞬時に世界中と繋がったところで、人は幸福からは遠ざかりつつあるようで、それこそ不安になります。


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私は景色と同化することが「スピリチュアル」な出来事とは思えません。私達が生きている世界が三次元である限り極々自然に陥る心境だと思います。古代人も恐れや不安に苛まれる生活の中で、ふと無心になった時に、ごく普通の見慣れた景色の中にあって、言うに言われぬ幸福感を感じたのではないでしょうか。


沼津のお寺、宝珠院の管長から繰り返し聞かされる昔話があります。

「少女時代、不遇の生活を強いられていた頃、近くの小川でキラキラ光る川エビを捕まえた。」

たったそれだけの話です。その話をする時の管長の顔は喜びを通り越して恍惚としています。
おそらく不遇の時代にあっても、不安や緊張感がふと途切れる瞬間があって、目の前のせせらぎは少女と一体化したのでありましょう。そしてその風景は管長にとってかけがえのない幸福という財産になったに違いありません。


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スマホに脳をハッキングされ始めた今の時代、二次元画像の向こうにもそんな瞬間につながる景色が見えてくるのでしょうか。
そしてそれは本来人間に備わっていた幸福感と同質のものといえるのでしょうか。


さとやま遊人郷プロジェクト代表 米山兼二郎


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【運営部より】
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